読書記録2「ほんものの魔法使」
読書記録の2冊目は、ポール・ギャリコの「ほんものの魔法使」です。
好きな児童文学のキャラクター10選にモプシーをあげましたが、作品自体も大好きになりました。
※以下、ネタバレあり
タネや仕掛けのある手品や魔術を披露する魔術師たちが暮らすマジェイヤへ訪れる、本当の魔法の使い手のアダムとモプシー。
魔術師名匠組合に入るためにはるばる旅をしてきたアダムは、ジェインや多くの人と出会い、マジェイヤの暗黙の了解に一石を投じることになります。
一見穏やかに見える場面も、様々な人の思惑や画策が隠され、終始ハラハラ読み進めていました。
最後には、アダムとモプシーは惜しむ間もなくマジェイヤを去ってしまいますが、彼らとこの物語は一生わたしの胸に留まり続けるでしょう。
お気に入りの場面は二つ。
一つは、お小言を言いまくるモプシーと、それを制するアダムのやりとりの場面です。
モプシーは周りには聞こえないのを良いことに、アダムや他人に対して、しょっちゅう文句を言っています。
登場キャラクターの中で一番喋っているといっても過言ではないでしょう。
しかし、毛で覆われたクスッと笑える見た目を想像すると、少しも怖くなく、可愛らしいくらいです。
アダムが何度やめろと言ってもやめないところからは頑固さや素直さが感じられ、またアダムとの関係の深さがわかり、ほほえましいです。
アダムはあまり聞き入れてくれず、結局ピンチに陥りますが、敵に殺されそうになったアダムをモプシーが助けに来た場面は、泣いてしまいました。
モプシーの健気さは必見です!
もう一つは、ピクニックにてアダムがジェインに魔法を教えてあげた場面です。
なんて素敵な考えなんだろう、と目から鱗が出そうでした。
内容に関しては、ここでわたしが書くよりも、物語を読む中で知る方が断然良いと思うので割愛しますが。
アダムの言う通り、この世界は説明ができない魔法で溢れています。
そう思うだけで、この世界を好きになれそうな気がしました。
短い間に、アダムとジェインの間に深い友愛が生まれたことも、この場面から感じられました。
このお話を読み、二つの考察をしました。
一つは、
その人の行為(魔術や手品)が本物か偽物かではなく、
行為を通して目の前の人を喜ばせたいという気持ちが本物か偽物か、
この点がタイトルの「ほんものの魔法使(The Man who was Magic)」の意味に含まれるのではないか
ということです。
(魔術師や手品師、魔法使いなど様々な呼ばれ方がありますが、ここでは魔術師で統一します)
前提として、マジェイヤにいる魔術師は、魔術を通して、人々を喜ばせることを生業にしているはずです。
しかし、その実態は、魔術を通して己の欲を満たすことを考えている魔術師ばかりです。
そんな人たちが「ほんものの」魔術師と言えるでしょうか。
まずは、そんな疑いのかかるマジェイヤの魔術師たちについて考えてみましょう。
マジェイヤにいる魔術師たちは、美しい装いに身を包み、あの手この手の道具を使って、魔術を披露します。
それ自体は悪いことではありませんし、行為の内容からは、確かに彼らを魔術師と呼ぶことができそうです。
ただ、その見た目や道具は、所持者の権力を誇示するために存在しているように感じられました。
自己顕示欲が強い現代人に似たものが感じられますね。
特にジェインの父親・ロベールは、アダムの魔法のタネを知りたい一心で、自慢たっぷりに家の中の魔法道具を紹介し、アダムに貸した衣装に必要な道具を隠すポケットがたくさんついていることを得意げになって話していました。
この場面は、共感性羞恥が刺激されるばかりでした。
すごいのはあなたではなく道具なのに……と。
さらに、自己顕示欲を満たすことに夢中なるあまり、大切にするべき家族であるジェインにキツく当たっています。
対話をする気が一切なく、ジェインを理解する意識すらありません。
ロベールは統領でありながら、魔術を使って自分の子どもすら喜ばせることができていないのです。
マルヴォリオにも同じことが言えます。
彼は権力を得ること・支配欲を満たすことに躍起になり、ロベールを陥れることや、脅威となるアダムに手をかけようと企てています。
その姿は、果たして本当のエンターテイナーひいては魔術師と言えるのでしょうか。
先に述べた前提と照らし合わせると、彼らを魔術師と呼ぶことは難しいです。
やっていることは魔術師ですが、その意識は魔術師とは程遠いからです。
彼らは「ほんものの魔法使」とは言えません。
一方で、アダムは「ほんものの魔法」という力があるため、ほとんど道具を要しません。
道具が必要なく、準備にも時間がかからないため、人と対話する時間を他の魔術師より長く取ることができます。
だからジェインと初めて会った時に、話をしながらすぐにバラを取り出して、ジェインを元気づけることができました。
しかも自慢をする様子も、お褒めの言葉を欲しがるようなそぶりもありません。
ジェインを思う気持ちが、自己顕示よりも先行している行動と言えます。
(バラが最後に素敵な働きをするとは思いませんでした! ぜひご自分の目で確かめてください)
また、アダムは自分の見た目にも一切気を使っていません。
旅をしてきた格好のまま舞台に上がりました。
(本選ではジェインの父親の豪華絢爛な衣装一式を借りていますが)
アダムがどれだけ自分に対して意識を向けていないか、あくまで見られるのは魔法だとわかっているかがわかります。
さらにアダムが魔法を使うと、そこには必ず一緒に優しさが現れています。
最初はお仕置きを受けているジェインに笑顔になってほしくて。
次は緊張して失敗ばかりしてしまうニニアンに試験をパスしてほしくて。
最後は自分のせいでお金が無くなることを恐れる人々に安心してほしくて。
アダムは一体どこまで他人思いなんでしょうか。
この思いやりを少しはモプシーに向けて、と思ってしまうほどです。
きっとこのアダムの優しさは、魔法を通すことで現れるものなのでしょう。
すでに誰よりも、マジェイヤにいる魔術師に求められる前提をクリアしているアダムは、正真正銘の「ほんものの魔法使」と言えます。
使っているのが「ほんものの」魔法なのではなく、彼の持つ心持が「ほんもの」なのです。
こうして比較をしてみると、マジェイヤの魔術師とアダムは、面白いほどに正反対でした。
この結果から、タイトルの意味はやはり、魔法が本物かどうかよりも、魔法を介した時の気持ちが本物かどうか、にあるのではないかと思いました。
もう一つの考察は、アダム自身が魔法だということです。
その理由はアダムの奇跡ともとれる行動にあります。
・大前提としてほんものの魔法が使えた
・今まで誰も超えたことが無いストレーン山脈を超えて、マジェイヤへやってきた
・自身は一度も危険らしい危険にさらされていない
・モプシーの言っていることが理解でき、会話ができる
・抜群のタイミングでジェインを助け、ジェインの魔法を呼び起こした
・本物のお金を降らせて、人々を金銭面で穏やかにした
・跡形もなく消えてしまった
彼自身がまるで手品のようなことを軽々とやってのけているのです。
本当にアダムはマジェイヤに来て、ジェインやニニアンと話をしていたのでしょうか。
それを疑ってしまう程、不思議なことばかりしています。
しかし、ニニアンが必ず見つけることを誓い、ジェインがアダムがいたことを後世に伝えていくことを選んでいるのだから、きっとアダムはいたのでしょう。
その正体が人間か、魔法使いか、魔法かなんてことは、二人にとって問題ではないし、わたしにとっても問題ではありません。
この一冊で、アダムにたっぷりと楽しませてもらいました。
それもまたアダムの魔法なのでしょう。
この物語からは、学びも多くありました。
その最たるものは、自己顕示欲を満たす方法や見た目に気を配る時間を少し短くして、その分で、自分や他人と対話する時間を作ることが大切だということです。
そうでなければ、マジェイヤに残った魔術師たちのように、空っぽの人間になってしまう様な気がしました。
また、権力を持った人が恐ろしいことを考えつくのか、権力を持ちたい人が恐ろしいことを考えつくのか、そもそもどうして権力を持ちたがる人がいるのか、そんな疑問もわきました。
しかも共通して、彼らは自分のことしか考えていません。
最後のお金の雨の場面は、とても気分が悪かったです。
しかし、あれが世の中の現状でもあります。
いつか変わると良いな、そんなことも考えました。
現代に必要な物語だと感じました。
多くの方にこの物語が読まれてほしいです。
ただし、ここで補足が。
本文の最後にもあった通り、この物語には、現代では不快感を持つ表現がいくつか登場します。
しかし、それを現代の価値観に直してしまうのも、正しいことではないと思います。
この物語が生まれた当時は、その価値観が当たり前で、そこには悪意はありませんでした。
仮に、その当たり前に嫌悪感を持っても、とても言い出せる世の中ではなかったのです。
そういう時代があった事実を消さないためにも、負の歴史として残すためにも、物語から不快感のある表現を削除してならないと強く思います。
さらに言えば、現代でもこの物語で指摘されるような表現に、疑問を持たない方もたくさんいます。
疑問を持つ人と、疑問を持たない人が一緒にこの物語を読み、価値観をすり合わせるための議論の種にもなってくれるでしょう。
大きな役割を持った物語です。
ですからもう一度。
たくさんの方にこの物語を読んでほしいと思います。
純粋に楽しむこともできる物語です。
むしろ、楽しむだけで十分な物語です。
でも、楽しむのと一緒に、たくさんの事を感じ、笑ったり、驚いたり、感動したりできる最高の物語でもあります。
世界中におすすめします!
ここまで長いブログを読んでくださり、ありがとうございました。