花束を持ったゾウ

好きなものについて楽しく書く

読書記録7「大正浪漫 横濱魔女学校2 月蝕の夜の子守歌」

今回の読書記録は白鷺あおいさんの「大正浪漫 横濱魔女学校」シリーズの2冊目

月蝕の夜の子守歌」です。

honto.jp

 

読み終えてから少し時間が開いてしまい、忘れてしまった部分もあるので

もう一度読み直したら追記しようと思います。

 

※以下、ネタバレあり

 

個人的には、少し寂しい気持ちになるお話でした。

新たに登場したキャラクターのほとんどが大切な人の死を経験していたからです。

アナちゃん、ホセ叔父さん、リケーニさん、亮太くん、お峰さん。

失う辛さを経験した人々が横濱に偶然集まり、誘拐事件に巻き込まれてしまうなんて

人の悲しみに漬け込んでいるようで、嫌ですね。

天狗団はその事情を知りませんが、そもそも誘拐はだめですよね。

無事に解決して、本当に良かったですね。

作者さんがみんなを救いたかったのかなと思い、わたしも救われました。

 

ここからは千秋くんについて。

 

二巻ではティグレを通した千秋くんではなく、

人間の千秋くんの目を通した世界が一人称で描かれていて

どんなことを感じているのかを知ることができて新鮮でした。

アナちゃんに困惑しているところは年相応の反応で微笑ましかったです。

 

ただ、一人称でありありと語られた分、

千秋くんが「お母さん」と呼びかける場面はとても心苦しかったです。

毅然と振る舞っていますが、当然寂しい日もありますよね。

 

千秋くんに関してはまだ謎が多いですが、今読んでいる3巻では

箒で探検に行けるんだ、と少し前向きになっていて、とても嬉しかったです。

ティグレとの仲も深まっていますし。

魔女学校に戸惑いつつも、色々なことに挑戦していますし。

がんばれ、千秋くん!

 

もうすぐ小春ちゃんや千秋くんたちとの冒険が終わってしまうと思うと寂しいですが、

きっとハッピーエンドだと信じて、最後まで楽しんで読みたいと思います。

読書記録6「魔法の庭のものがたり2 二代目魔女のハーブティー」

昨日に引き続き、読書記録6です。

アロマの勉強を始めたわたしに叔母が贈ってくれた

あんびるやすこさんの「法の庭のものがたり2 二代目魔女のハーブティー」です。

魔法の庭ものがたり2 二代目魔女のハーブティーの通販/あんびる やすこ/あんびる やすこ - 紙の本:honto本の通販ストア

honto.jp

※以下、ネタバレあり

 

ジャレットの魅力的な長い髪や、自分を省みてひたむきに努力する姿は、

主な読者である子どもの憧れになるだろうなと思いました。

自分を良く見せるために変わったお茶を作ろうとした場面は、

大人でもこういう時あるなぁ、と耳が痛くなりました。

落ち込んでいるジャレットに、「誰でもやってしまうことだよ」と声をかけて揚げたかったです。

しかしジャレットは自分の間違いに自分で気づき、それを自ら改善しました。

自分の非を認めることは、なかなかできることではありません。

かかしへの思いやりが、ジャレットの「成長」を促した、というストーリーに心が温かくなりました。

 

この物語の素晴らしい点は、実践できるアロマの知識にもあると感じました。

タイトルにもあるハーブティーはもちろん、ラベンダーのサシェやしもやけの薬など

どれも実際に使えそうなものが登場しています。

心温まる物語の中に度々差し込まれるアロマの知識は、読者に自然と身に着くでしょう。

サシェの作り方は、巻末にてかわいいイラストで紹介されています。

ジャレットに教わりながらわたしも作ろう! と思いました。

気になる方はぜひ!

 

物語を通して、一つの軸となる「誰かを思って行動することは幸せで、力がみなぎる

というメッセージが込められているように感じました。

ジャレットはバーボアさんやスーやかかしの。

スーはスーのママの。

バーボアさんはジャレットやスーの。

かかしはスーの。

六匹のネコたちはジャレットの。

みんな、誰かのために行動し、優しさを分け合っている

とても美しい世界で、涙が出ました。

こんな素晴らしい作品は、わたしなんかが紹介するまでもないかもしれませんが、

たくさんの方に読まれてほしいと強く思います。

たくさんの方がこの作品を読み、思いやりの気持ちを持てば、

わたしたちの世界もジャレットたちの世界と同じくらい優しい世界になる気がします。

 

児童文学には学ぶ事や気づかされる事ばかりが詰まっています。

これからも素敵な児童文学との出会いがありますように。

読書記録5「賢女ひきいる魔法の旅は」

明けましておめでとうございます。

気がついたら年が明けてもう一か月が終わろうとしています。

驚きですね。

今年も楽しく本を読んで、楽しくブログを書こうと思います。

よろしくお願いします。

 

新年一冊目、通算五冊目となる読書記録は

賢女ひきいる魔法の旅は」です。

大好きなダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの最後の作品です。

妹のアーシュラさんが奮闘してくださったおかげで読むことができることに

まずは感謝を申し上げたいです。

ありがとうございます。

「楽しかった」の一言に尽きる最高の大団円でした。

honto.jp

 

※以下、ネタバレあり

 

物語を読むとき、基本的に、誰かに感情移入することはありません。

誰かの人生や出来事の軌跡を見せてもらっている

という感覚に近いです。

この作品は特にそうで、エイリーンから話を聞いているような感覚でした。

語り口調が度々挟まれるから、というのもありますが。

 

それにもかかわらず、ダイアナさんとアーシュラさんの活き活きとした文章によって

その場で起こっていることを目の当たりにしているような臨場感も感じられました。

 

つまり、話を聞かせてもらっている感覚と、目の前で一緒に経験している感覚が

上手に両立されていたということです。

この手の作品は本当にすごいなと思います。

読者を置いてきぼりにするわけでも、巻き込みすぎるわけでもなく、ちょうどいい塩梅を保ち続ける。

素晴らしい技術ですね。

特にわたしのような想像力が豊かで、怖がりな人間からすると

一緒に経験している感覚の時は「こんな恐ろしいことが!」と身震いしてしまいますが、

同時に、話を聞かせてもらっている感覚を味わえると、

「でも誰かに話せるってことは主人公たちは助かるんだ」と安心することができます。

 

物語の内容としては、旅というだけあって苦しい場面が多く、辛かったです。

旅の荷物が使い物にならなかったりお金が無かったりとひどい仕打ちを受けた上に、

各地でも歓迎されることがほとんどなかったのは、わたしまで悲しくなりました。

わたしが旅の仲間だったら心が折れている、と思う場面が何度もありました。

 

ダイアナさんの描く悪役は、真に憎たらしい人ばかりなのも辛さを助長しました。

特に、歯向かう民をロバに変え、ベック叔母さんに呪いをかけたロマ王女は本当に怖かったです。

佐竹美穂さんの絵もまた怖くて……。

寝る前に読まなければよかった……と思ったほどでした。

怖いものが苦手な人は注意です。

 

そんな辛い旅の中での楽しみは、なんだかんだ仲の良いエイリーンとオゴの掛け合いでした。

自信が無いエイリーンを励まし、時には叱咤してくれ、力を貸してくれるオゴは

自身も寂しく、見下されてばかりの人生を歩んできました。

困ったなぁと思う場面もありましたが、ログラの侵入以降、

オゴがより逞しくなったのは、自分のアイデンティティを得て

自尊心や自己愛が深まった証拠だろうと思い、とても嬉しかったです。

 

終盤では、エイリーンとオゴの絆が強くなっていることや、互いが精神的な支えになっていることが感じられ、とても微笑ましい気持ちになりました。

不安な場面でしたが、とても安心して読み進めることができたのは

きっと二人のこれまでの軌跡のおかげでしょう。

二人がいれば大丈夫だと思わせてくれました。

最終的に結ばれる二人は、夫婦であり、戦友であり、親友であり、伴侶なのだろうと思います。

そんな相手がいたら無敵な気持ちになれそうですね。

 

この作品はわたしがこれまで読んだダイアナさんの作品の中で

最も規模の大きな身勝手合戦だったように思います。

自分の地位のことしか考えていない者が上に立ち、国や民や守護獣まで巻き込んでいる!

おぞましい世界です。

最後にこんな身勝手な人ばかりが登場する作品を書いたのには、

何か意味があるのでしょうか。

 

最後までダイアナさんが書いたわけではないので、

もしかすると終わり方も伝えないことも、違うのかもしれません。

でもわたしはこの物語から、

努力と愛情は報われる」と感じました。

ダイアナさんの作品全てを読んでいるわけではないので確かなことは言えませんが、

「努力と愛情は報われる」ということを、これまで読んだダイアナさんの作品から感じています。

ですからきっと、ダイアナさんが最後まで書いたとしても

このメッセージは感じられたのではないかと思います。

 

残念ながら今後ダイアナさんの作品が増えることはありません。

大学生の時にダイアナさんの作品に出会い、衝撃を受けたわたしにとっては

辛いことではあります。

しかし、まだ未読の作品もありますし、何より

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品は何度読み返しても初めてと同じくらい楽しい

という素晴らしい特徴を持っています。

だからこれからの人生でも繰り返し読み、生涯の友のように連れ添っていきたいです。

ダイアナさんの作品に出会えて、わたしは幸せです。

この幸せが、より多くの方に広がりますように。

読書記録4「サークル・オブ・マジックⅢブレスランドの平和」

この本について、読書記録をつけられる日が来るとは……。

手に入らずに嘆いていた少し前までの自分に教えてあげたい……。

4冊目は「サークル・オブ・マジックⅢブレスランドの平和」です!

著者はデブラ・ドイルさんです。

honto.jp

ハラハラドキドキからの大団円という物語らしい物語で、とても楽しく読みました。

 

※以下ネタバレあり

 

過去の人間とのかかわりや、誰かの言動の意味が、この巻にかなり集約されていて、

物語の完結を感じさせられました。

 

特に、まさか魔法学校時代の因縁の相手・ゲイマーが登場するとは思いませんでした。

つい先日、一巻を読み返していて、ランドルがゲイマーに意地悪を言われて部屋から出て行く場面に新鮮に腹を立てていたところだったので、怒りは倍増でした。

学校を出ても悪さをしているとは!

時間という最大の自然の摂理に逆らったために、その空間から出られなくなったことは仕方ないとも言えます。

レディ・ブランチの発言には半分同意、半分反対ではありますが。

魔法を使わせないようにする鐘の場面は臨場感があり、読んでいるこちらまで耳が痛くなり、力が抜けるような感覚になりました。

何度も魔法が使えなくなりかけても、誰も欠けることなく守り抜いたランドルは立派でした。

ランドルは魔法使いの自負が強く、「この場を打開できるのは自分だけ」と思いがちなため、目的を果たすために発揮する力が凄まじいです。

そのせいで、危険な目にも度々あいますが、この巻ではほぼ常に、リースとウォルターが傍にいて支えてくれたため、前巻よりは安心して読むことができました。

ランドルが残るなら残る、と言い続けるリースは最高の相棒ですね!

 

ドーン城での戦闘は痛ましいものでした。

安息の地での戦闘で、たくさんの人が亡くなったことを、ランドル自身も悔いていました。

しかしわたしたち読者には、ランドルはできる限りのことをしたように見えました。

ランドルが自分自身にもそう言ってあげられるようになったら、自分を認められたらいいなと思います。

 

最終的にマスターとして承認され、ディアマンテから宮廷魔法使いとして忠誠を求められた場面では泣きそうになりました。

これまでの幾度にもわたるランドルの決死の戦いが思い出されました。

しかも傍には、その戦いでも力になってくれた、宮廷で音楽を奏でるリースと、総帥となったウォルターがいるんですよ!

なんて優しい物語なんでしょう!

わたしは優しい物語が好きです。

頑張ったら報われてほしいです。

平和に近づいた世界でみんな一緒にいられる、花丸のような終わりで、とても嬉しかったです。

 

この平和な終わりから、4巻にどう繋がっていくのかはわかりませんが、早く続きが読みたくて仕方ありません。

でも4巻を読んでしまったら、ランドルたちとの冒険は終わってしまうと思うと、我慢したい気持ちも出てきます。

とりあえず、前の巻を読み返して行こうかな。

 

困難が多い巻ではありましたが、本当に本当に、嬉しい終わりでした!

ランドル、リース、ウォルターの友情に乾杯!

 

追記

メリークリスマスイブですね。

今年もお家で本やパソコンを片手に、ぬくぬく過ごします。

今はテレビで放送されているパディントンの映画を見ながら、このブログを書いていました。

パディントンの原作もいつか読んでみたいです。

うれしい気持ちをただ共有するだけの日記

 

最近、読みたかった本を大量に買いました。

お誕生日とクリスマスの自分への贈り物です。

 

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品でまだ未読のものに加え、

気になっていたオランダの妃殿下も製作に携わった作品や

続き物の気になっていた作品、

それからなにより、

ついにサークルオブマジックの3巻を手に入れることができました!

 

どうやら少しですが在庫が復活したようです。

もしまだ手に入れられていない方がいたら、

各書店さんのオンラインショップをご確認下さい!

honto.jp

www.kinokuniya.co.jp

年末は買った本を大事に読んだり、眺めたりして過ごします。

また一冊一冊読み終え次第、読書記録をつけようと思います。

物語を反芻する時間も楽しいですよね。

読書記録3「大正浪漫 横濱魔女学校 シトロン坂を登ったら」

約一か月ぶりの更新です。

すでに書き方を忘れているような気がします。笑

十一月の分を取り返すべく、今月は最低でも二回は更新しようと思います!

 

久しぶりの内容は読書記録3。

作品は「大正浪漫 横濱魔女学校 シトロン坂を登ったら」です。

著者は白鷺あおいさんです。

honto.jp

 

※以下、ネタバレあり

 

まず、登場人物のほとんどが人間ではなく妖魅という存在なのが驚きでした。

正直な事を言えば、妖魅であり、魔女だなんて、設定が多すぎてこんがらがりそう……

とも思いました。

しかし、その設定を活かしきれていないという印象はまったくなく、

むしろ、小春たちが学んでいる魔法はなんでもできる便利なものではないので

自分たちの妖魅としての能力と併用しながら困難に立ち向かったり、

妖魅同士だからこそ分かり合えたりするといった気持ちの動きが見られ、

複雑に思える設定を活かせていることがすごい! と感動しました。

妖魅も魔女を目指せるという言葉には、わたしもなんでもできるかもしれない」と奮い立たせられました

 

学校や若槻邸の場面はワクワクすることが多く、楽しかったのです。

袴の生徒と洋服の生徒がいるのはこの時代背景ならではですね。

海老茶色の袴」という響きがかわいくて、何度も表紙を見返してしまいました。

ホウキで飛ぶことを「ダンス」と言って、複雑な飛び方をする授業も新鮮でした。

確かにダンスしているように見えそうですね。

 

絵の中に入ってからは、ずっとハラハラしてしまいました。

特に「ディーディー」と怒鳴られ、木の下に火をつけられた場面は怖すぎて大急ぎで読んでしまいました。

小春のナイスアイディアによって逃げられた時は、本当に安心しました。

本当に怖かった……。

 

残った謎については、わたしは何も謎を解くことができませんでした。

ヒントが出されていないのか、わたしの読みが甘いのか。

推理小説を読むことがほとんどないので、後者かもしれません。笑

この後の二冊で解決するかと思うと、早く続きが読みたくて仕方がありません!

 

海外を舞台にした、海外の作家さんの作品が好きなわたしですが、

「ほんものの魔法使」をきっかけに創元推理文庫さんの作品をチェックするようになり、その中で気になったのがこの作品でした。

タイトルに入った「大正浪漫」、「魔女学校」、「シトロン坂」の3ワード。

ワクワクする予感しかしませんでした。

そして予想通り、ワクワクしっぱなしでした!

ファンタジーは最高におもしろいジャンルだということを再確認しました。

これからも色々な作品に興味を持って、どんどん読んでいこうと思います。

読書記録2「ほんものの魔法使」

 

読書記録の2冊目は、ポール・ギャリコの「ほんものの魔法使」です。

honto.jp

好きな児童文学のキャラクター10選にモプシーをあげましたが、作品自体も大好きになりました。

 

※以下、ネタバレあり

 

タネや仕掛けのある手品や魔術を披露する魔術師たちが暮らすマジェイヤへ訪れる、本当の魔法の使い手のアダムとモプシー。

魔術師名匠組合に入るためにはるばる旅をしてきたアダムは、ジェインや多くの人と出会い、マジェイヤの暗黙の了解に一石を投じることになります。

一見穏やかに見える場面も、様々な人の思惑や画策が隠され、終始ハラハラ読み進めていました。

最後には、アダムとモプシーは惜しむ間もなくマジェイヤを去ってしまいますが、彼らとこの物語は一生わたしの胸に留まり続けるでしょう。

 

お気に入りの場面は二つ。

一つは、お小言を言いまくるモプシーと、それを制するアダムのやりとりの場面です。

モプシーは周りには聞こえないのを良いことに、アダムや他人に対して、しょっちゅう文句を言っています。

登場キャラクターの中で一番喋っているといっても過言ではないでしょう。

しかし、毛で覆われたクスッと笑える見た目を想像すると、少しも怖くなく、可愛らしいくらいです。

アダムが何度やめろと言ってもやめないところからは頑固さや素直さが感じられ、またアダムとの関係の深さがわかり、ほほえましいです。

アダムはあまり聞き入れてくれず、結局ピンチに陥りますが、敵に殺されそうになったアダムをモプシーが助けに来た場面は、泣いてしまいました。

モプシーの健気さは必見です!

 

もう一つは、ピクニックにてアダムがジェインに魔法を教えてあげた場面です。

なんて素敵な考えなんだろう、と目から鱗が出そうでした。

内容に関しては、ここでわたしが書くよりも、物語を読む中で知る方が断然良いと思うので割愛しますが。

アダムの言う通り、この世界は説明ができない魔法で溢れています。

そう思うだけで、この世界を好きになれそうな気がしました。

短い間に、アダムとジェインの間に深い友愛が生まれたことも、この場面から感じられました。

 

このお話を読み、二つの考察をしました。

一つは、

その人の行為(魔術や手品)が本物か偽物かではなく

行為を通して目の前の人を喜ばせたいという気持ちが本物か偽物か

この点がタイトルの「ほんものの魔法使(The Man who was Magic)」の意味に含まれるのではないか

ということです。

(魔術師や手品師、魔法使いなど様々な呼ばれ方がありますが、ここでは魔術師で統一します)

 

前提として、マジェイヤにいる魔術師は、魔術を通して、人々を喜ばせることを生業にしているはずです。

しかし、その実態は、魔術を通して己の欲を満たすことを考えている魔術師ばかりです。

そんな人たちが「ほんものの」魔術師と言えるでしょうか。

 

まずは、そんな疑いのかかるマジェイヤの魔術師たちについて考えてみましょう。

マジェイヤにいる魔術師たちは、美しい装いに身を包み、あの手この手の道具を使って、魔術を披露します。

それ自体は悪いことではありませんし、行為の内容からは、確かに彼らを魔術師と呼ぶことができそうです。

ただ、その見た目や道具は、所持者の権力を誇示するために存在しているように感じられました。

自己顕示欲が強い現代人に似たものが感じられますね。

特にジェインの父親・ロベールは、アダムの魔法のタネを知りたい一心で、自慢たっぷりに家の中の魔法道具を紹介し、アダムに貸した衣装に必要な道具を隠すポケットがたくさんついていることを得意げになって話していました。

この場面は、共感性羞恥が刺激されるばかりでした。

すごいのはあなたではなく道具なのに……と。

さらに、自己顕示欲を満たすことに夢中なるあまり、大切にするべき家族であるジェインにキツく当たっています。

対話をする気が一切なく、ジェインを理解する意識すらありません

ロベールは統領でありながら、魔術を使って自分の子どもすら喜ばせることができていないのです。

マルヴォリオにも同じことが言えます。

彼は権力を得ること・支配欲を満たすことに躍起になり、ロベールを陥れることや、脅威となるアダムに手をかけようと企てています。

その姿は、果たして本当のエンターテイナーひいては魔術師と言えるのでしょうか。

先に述べた前提と照らし合わせると、彼らを魔術師と呼ぶことは難しいです。

やっていることは魔術師ですが、その意識は魔術師とは程遠いからです。

彼らは「ほんものの魔法使」とは言えません。

 

一方で、アダム「ほんものの魔法」という力があるため、ほとんど道具を要しません。

道具が必要なく、準備にも時間がかからないため、人と対話する時間を他の魔術師より長く取ることができます。

だからジェインと初めて会った時に、話をしながらすぐにバラを取り出して、ジェインを元気づけることができました。

しかも自慢をする様子も、お褒めの言葉を欲しがるようなそぶりもありません。

ジェインを思う気持ちが、自己顕示よりも先行している行動と言えます。

(バラが最後に素敵な働きをするとは思いませんでした! ぜひご自分の目で確かめてください)

また、アダムは自分の見た目にも一切気を使っていません。

旅をしてきた格好のまま舞台に上がりました。

(本選ではジェインの父親の豪華絢爛な衣装一式を借りていますが)

アダムがどれだけ自分に対して意識を向けていないか、あくまで見られるのは魔法だとわかっているかがわかります。

さらにアダムが魔法を使うと、そこには必ず一緒に優しさが現れています。

最初はお仕置きを受けているジェインに笑顔になってほしくて。

次は緊張して失敗ばかりしてしまうニニアンに試験をパスしてほしくて。

最後は自分のせいでお金が無くなることを恐れる人々に安心してほしくて。

アダムは一体どこまで他人思いなんでしょうか。

この思いやりを少しはモプシーに向けて、と思ってしまうほどです。

きっとこのアダムの優しさは、魔法を通すことで現れるものなのでしょう。

すでに誰よりも、マジェイヤにいる魔術師に求められる前提をクリアしているアダムは、正真正銘の「ほんものの魔法使」と言えます。

使っているのが「ほんものの」魔法なのではなく、彼の持つ心持が「ほんもの」なのです。

 

こうして比較をしてみると、マジェイヤの魔術師とアダムは、面白いほどに正反対でした。

この結果から、タイトルの意味はやはり、魔法が本物かどうかよりも、魔法を介した時の気持ちが本物かどうか、にあるのではないかと思いました。

 

もう一つの考察は、アダム自身が魔法だということです。

その理由はアダムの奇跡ともとれる行動にあります。

・大前提としてほんものの魔法が使えた

・今まで誰も超えたことが無いストレーン山脈を超えて、マジェイヤへやってきた

・自身は一度も危険らしい危険にさらされていない

・モプシーの言っていることが理解でき、会話ができる

・抜群のタイミングでジェインを助け、ジェインの魔法を呼び起こした

・本物のお金を降らせて、人々を金銭面で穏やかにした

・跡形もなく消えてしまった

彼自身がまるで手品のようなことを軽々とやってのけているのです。

本当にアダムはマジェイヤに来て、ジェインやニニアンと話をしていたのでしょうか。

それを疑ってしまう程、不思議なことばかりしています。

しかし、ニニアンが必ず見つけることを誓い、ジェインがアダムがいたことを後世に伝えていくことを選んでいるのだから、きっとアダムはいたのでしょう。

その正体が人間か、魔法使いか、魔法かなんてことは、二人にとって問題ではないし、わたしにとっても問題ではありません

この一冊で、アダムにたっぷりと楽しませてもらいました

それもまたアダムの魔法なのでしょう。

 

この物語からは、学びも多くありました。

その最たるものは、自己顕示欲を満たす方法や見た目に気を配る時間を少し短くして、その分で、自分や他人と対話する時間を作ることが大切だということです。

そうでなければ、マジェイヤに残った魔術師たちのように、空っぽの人間になってしまう様な気がしました。

また、権力を持った人が恐ろしいことを考えつくのか、権力を持ちたい人が恐ろしいことを考えつくのか、そもそもどうして権力を持ちたがる人がいるのか、そんな疑問もわきました。

しかも共通して、彼らは自分のことしか考えていません。

最後のお金の雨の場面は、とても気分が悪かったです。

しかし、あれが世の中の現状でもあります。

いつか変わると良いな、そんなことも考えました。

現代に必要な物語だと感じました。

多くの方にこの物語が読まれてほしいです。

 

ただし、ここで補足が。

本文の最後にもあった通り、この物語には、現代では不快感を持つ表現がいくつか登場します。

しかし、それを現代の価値観に直してしまうのも、正しいことではないと思います。

この物語が生まれた当時は、その価値観が当たり前で、そこには悪意はありませんでした。

仮に、その当たり前に嫌悪感を持っても、とても言い出せる世の中ではなかったのです。

そういう時代があった事実を消さないためにも、負の歴史として残すためにも、物語から不快感のある表現を削除してならないと強く思います。

さらに言えば、現代でもこの物語で指摘されるような表現に、疑問を持たない方もたくさんいます。

疑問を持つ人と、疑問を持たない人が一緒にこの物語を読み、価値観をすり合わせるための議論の種にもなってくれるでしょう。

 

大きな役割を持った物語です。

ですからもう一度。

たくさんの方にこの物語を読んでほしいと思います。

純粋に楽しむこともできる物語です。

むしろ、楽しむだけで十分な物語です。

でも、楽しむのと一緒に、たくさんの事を感じ、笑ったり、驚いたり、感動したりできる最高の物語でもあります。

世界中におすすめします!

ここまで長いブログを読んでくださり、ありがとうございました。